Hamarimono

そのときそのときのマイブームなど。

「雁子浜の人魚伝説」と「火ともし山」

 以前、「赤い蝋燭と人魚」 を紹介したときに少し触れた「雁子浜の人魚伝説」。

 新潟県上越市大潟区雁子浜に伝わる人魚伝説をベースに、小川未明が創作したのが「赤い蝋燭と人魚」でした。

 

pandapanko.hatenadiary.org

 


 この伝説は、袴形村にまだ住吉神社があったころに起きた、ある水難事故が元になっていると言われている。

 袴形の神社は小高い丘の上の松林の中にあり、佐渡島を臨む鳥居の南側には常夜灯が一列に並んで、悪天候でも献灯が絶えなかった。

 この献灯の光を頼って、佐渡島から渡ってくる不思議な女がいた。雁子浜の若者が女と恋仲となって、毎晩抜け出すようになった。若者には許嫁がおり、その母が二人の恋路を咎めたため、若者はひと夜献灯を休んでしまった。そのため女は遭難して溺れ、袴形の崖下に打ち上げられ、若者も女の後を追って身を投げた。

 同情した村人達は二人を弔って、常夜灯のそばに比翼塚を作り、小さな地蔵尊像を安置した。いつしか献灯は行われなくなり人も絶え、丘の上の住吉神社は寂れて、明治41年に崩山の地に移された。

 この話が人魚伝説となって後世に伝わり、未明の童話のモチーフとなった。現在神社の跡地は整地され、石碑と灯籠を一基を残すのみとなっている。

 

 これと似ている民話をたまたま「まんが日本昔ばなし」のなかに見つけました。それが「火ともし山」(当時のアニメ動画)です。

 舞台は長野県諏訪湖の東の村。夫婦になろうとしていた若者とおなみの悲哀物語。

 以下あらすじです。

 


 昔、諏訪湖の東の村に「おなみ」という娘がいた。おなみには、夫婦になろうと言い交わした若者がいた。ところが、ある日若者はやんごとなき理由で今住んでいる村から湖の向こう側に移り住まなくてはいけなくなった。

 おなみは若者と会えなくなる事をとても悲しんだが、若者は毎晩湖のほとりの山で火をともすとおなみに約束した。その火を見て、心を通わせようと思ったからだ。若者は、移り住んだその日から夜になると山で火をともすようになった。

 若者に恋焦がれていたおなみは、我慢できなくなって火を目印に若者の元に走りだした。おなみは酒の入った竹の筒を持って、湖のほとりを全力疾走する。やがて若者の元にたどり着いた頃には、中の酒から湯気が出て、熱燗のようになっていた。若者に早く会いたいと言う思いのせいで胸が焦がれるようになり、それで酒が温まるのだと言う。

 ある日、おなみはもっと早く若者の元に行きたいと思うようになった。湖をぐるりと回るのは時間がかかる。そこでおなみは湖を泳いで渡ることにした。冬の寒い中だったが、おなみは若者の火を頼りに湖を泳いで渡った。湖から上がったおなみの手には魚が握られていた。

 いつもより早く来たおなみに若者は驚いた。さらに、おなみがびしょぬれであること、取れたての魚を差し出したことに若者は驚いた。この寒い中、おなみが湖を泳いできたと言うことが若者には信じられなかったし、もし本当にそうならこれは正気の沙汰ではないと思った。

 次の日、若者は火をともした後に湖をじっと見ていた。すると、おなみは一直線に湖を泳いできていた。その様子を見た若者は背筋に冷たいものが走り、おなみのことが怖くなった。

 次の日、おなみは湖のほとりで若者が火をともすのを待っていたが、いつもの時間になっても火はともされなかった。少しでも早く若者に会いたいと思っていたおなみは、雪がちらつく中、湖へと入っていった。湖の真ん中からでも、いったん火がともされれば、それを目指せばいいと思ったからだ。

 しかしその晩、山に火がともされることは無かった。そしてその晩以来、おなみの姿を見た者もいなかった。 しばらくして、若者が熱病で死んだと言う話が、風の便りでおなみの村に伝わってきた。

 

 恋い焦がれる気持ち故でのことだったのに、本当に切ないお話です。度を超してしまうと、上手くいくものもいかなくなってしまう・・・そんな教訓を与えてくれるのでしょうか。